なんだか、文章を書き始めた人が一番悩みそうな内容だなと思うけれど、じゃあ実際にどっちとなると、はっきりと言えないのがこの疑問だ。
「小説を書くには才能がいる」「文章を書くなんて小学生のころやったでしょ」といろんな言葉が思い浮かぶ。
だが筆者であるななてんは「どっちも正解なんじゃね?」と言いたくなるのである。
いや、こうしてぐだぐだ考えを述べていても、それはよろしくない。ぶっちゃけ、答えは「知らねえよ、私が知りたい」なのである。
待って待って、バックしないで、石を投げつけないで……ちゃんと答えるから
「知らねえ」というのも、まず問題の定義が不明瞭なのである。
『文章を書くために必要なのは〜』
この「文章」ってなんだ?小説なのか、エッセイなのか、それともレポートなのか日記なのか、手紙なのか……。「文章」を用いるのには何も何文も連続した説明文だけじゃない。コピーライティング、これだって味方を変えれば文章でしょうに……
つまり、なんのために文章を書くのか「目的」によって答えも変わるのだ。
小説、シナリオだったりするならば、芸術思考という才能が必要だし、ここでのブログのように日記だったら、書くための「技術」が必要だ。
なので、正確な答えは「目的による」なのである。
正直なところ、小説でもブログの文章でも、それを見つけることができるか、明確化できるかによると考える。
例えば、今書いている『蓬莱の傀儡子』は、「中華で、攻めが甘えるタイプのショタおね(♂)が読みたい」というふざけた目的、結末を迎えるためにその道中と設定を考えたのだ。
つまり、読みたい物語があったから書いたのである。
そこからいくつかシーンを細分化して、文章を書き出すという技術もあったが、それでもその目的を生み出すことができなければ、作品も成果も生み出せない(その時の方法は別の記事で)。
結論:文章を書くきっかけ、目的を生み出すには“才能“、完成までの執筆には技術が必要
あくまで、私の考えではあるが、「小説を書くには才能が必要なんだ」「私って才能ない」と言っている人には、「他に足りないのは何?」と聞くようにしてる。
大体「時間」か「気力」のどちらかだろう。つまり、才能がないのではなく、目的がはっきりしてないだけ。
目的のよくわからないものに、大金である時間を消費したくないのは、通りだと私は思うがね。
だから「才能」云云の前に、一度何が書きたいのか、一つの作品に十六個くらい書いてみると良いんじゃないのか。そうすれば、書きたいこともわかるだろうさ。
まとめ
・文章を書く目的は『欲望』という名の才能が必要
・執筆には、レポートを書く程度の基本の技術が必要(これはまた今度紹介)。
・書けないのは目的と計画がはっきりしていないからであり、時間でも、気力でも、ましてやあなたのせいではない(単純に動機が深掘りできていないだけ)
楽しいクリエイターライフを!
「文章を書くために必要なのは“才能”か“技術”か」

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